新刊のご案内

『相互扶助のイノベーション』
失われた10年、失意の20年を受けて
混乱したマーケティングを立て直す
〜自動車販売再編期の活力向上のために〜

■事例2:IGRいわて銀河鉄道(1)(概要版)

通院利用客向け専用サービス「IGR地域医療ライン」
IGRいわて銀河鉄道(岩手県盛岡市)

〜高齢者の安心を支える「アテンダント」が添乗、タクシー会社と連携して利便性を向上〜

〈相互扶助のしくみ〉
  社会的弱者の基本的生活権利(受療)を支えるための商品(企画乗車券)提供
〈発想〉
  高齢化による移動自由度の停滞と、県都・盛岡への通院ニーズに着目
〈検証〉
  お客さまに対してアンケート調査を企画者自ら実施、サービス充実の必要性を確認
〈体制〉
  若手スタッフの企画をインキュベーション支援する、風通しの良い社風


いわて銀河鉄道(株)は、盛岡駅(岩手県盛岡市)と目時駅(青森県三戸郡三戸町)を結ぶ延長82?の第三セクター鉄道である。元々はJR東北本線の一部区間であったが、東北新幹線の盛岡〜八戸間開業に伴い、並行在来線としてJR東日本から経営分離された。岩手県内を同社が、青森県内は同様に第三セクターの青い森鉄道(株)が運営する。経営母体は異なってしまったが、列車は直通運転されている。

岩手県北部を中心とする沿線は、人口減少と高齢化の進行、モータリゼーションの浸透もあって、鉄道利用は停滞傾向にある。近年の景気悪化による影響もあって厳しい営業環境が続いている。基本的に他の地方交通と同様、「健全性の維持・確立のために、業務の効率化や利用促進策を推し進めるとともに、経費削減と増収への努力を怠らない」経営を目指している。

具体策としては、利用実態に応じたダイヤ設定、パーク・アンド・ライド駐車場の設置、定期券への特典付与、利用者となる沿線人口の増加のための不動産事業への本格参入などである。この「IGR地域医療ライン」は、鉄道利用の起爆剤となるサービスであり、同線オリジナルの、地方鉄道はもちろんわが国の鉄道では初めてのサービスである。

そのサービスだが、沿線から盛岡市の総合病院に通院するお客さまを対象とする。朝(通院)と昼(帰宅)の指定した列車に乗れば、運賃の割引が受けられ、盛岡駅のホームでの病院までのタクシー連携と料金割引、列車全席の優先席化、アテンダントの乗車、無料駐車場の確保など、通院を目的とする移動時の安心を最大化したサービスである。


路線図(同社ホームページより)

◆増加する高度医療の受診に通院する高齢者

地方交通、特に鉄道への生活者の乖離は深刻だ。若年層のみならず中年層のなかにも、地元の鉄道の利用経験は皆無という人が少ないという。生まれたときからマイカーがある環境で、遠出はクルマ、生活圏における移動のための公共交通利用はバスのみ・・・こうした環境で、公共交通シフト、特に鉄道シフトは容易ではない。

鉄道の良さは、基本的に運転が正確であり、車両にはトイレが常備され、乗り心地が良い(保線状態にもよるが)ことだが、前述のように地方の環境では体験する機会が限られるため、想像に過ぎない人々にいくらコミュニケーションしても、理解は長続きしない。そこで、いかに実体験してもらうかに、事業者は頭を悩ませることになる。

また、地方鉄道は地域密着が経営の前提である。沿線の生活者の日常に溶け込み、モビリティの習慣としての定着を図らなければならない。地域性なくしてのマーケティングは実効性を持たないのである。ゆえに、大都市や他地域でヒットした鉄道サービスを持ち込んでみても、同様のヒットは望めない。

IGR医療ラインの企画も、同社の若手が中心となって、自社のリソースで可能なことをやってみようとスタートした。

「当社の沿線は、高齢化が著しく進展しており、地域医療だけでは対応しきれない患者も年々増加しています。特に県都の盛岡市にある総合病院へ高度医療を受診するために通院する高齢者が目立っています。しかし高齢者にとって、自宅から病院への往復はたいへんな労力が必要です。特に冬期になると、道路の凍結や悪天候で、自分からハンドルを握ることを敬遠される高齢者の方が増えています。また、行政の努力もあって、免許返納制度を利用、代替として公共交通機関を選択する高齢者も増えつつあります。そこで、こうしたみなさんに公共交通機関として地域の足を何とか提供できないかと考えたのがきっかけです」(企画者の一人、同社総務部企画広報担当・米倉崇史氏 )。

また、盛岡都市圏に次ぐ沿線第二の都市規模の二戸市域から、盛岡市域の医療流入率は28.6%(岩手県患者受療行動調査)と、3 人に1 人に盛岡市での入院経験がある。退院後も、検診などに入院していた盛岡の病院に通院するための移動ニーズも把握できたという。

第8回日本鉄道賞プレスレリースより(国土交通省東北運輸局)


◆お客さまの不安を安心に変える5つのサービス

社内企画コンペを2008年の早春に実施、半年をかけて検討した結果、盛夏を迎えた8月に、このIGR医療ラインの企画に決定、実施が決まったのである。

決定と同時にすぐにマーケティング活動に取り組んだ。企画を推進した若手の社員を中心に、列車に乗り込んで3日間、お客さまへのアンケート調査を実施した。現況の把握、交通手段の選択とその理由、同社へのニーズなどをインタビュー。特に、医療機関の利用について、最寄り駅までの交通手段、利用する病院、予約診療の有無、通院の頻度・曜日、着駅からの交通手段、帰宅時の交通手段など、受診に関する一連の流れを把握した。

その結果、通院で利用されているお客さまが交通手段を選択する際の要件として、「安心感」を最も重視していることが判明。「安心」をコンセプトに据えて、ヒアリングを通じて把握できた鉄道利用に関する不安の声を、コンセプトに基づき「安心の声」に転換することで、IGR地域医療ラインのサービスメニューを組み立てたのである。


(1)アテンダントの添乗

「列車内での体調変化が怖い」「乗り過ごすのが怖い「話し相手がいなくて寂しい」などの不安を少しでも解消するための、FaceToFaceの応対サービスである。アテンダントは、飲料水やひざ掛け等の常備、車内冷房の調整やタクシーの案内の他、お客さまと会話する機会を逃さず、常に安心できる環境を提供する。

IGR地域医療ラインのサービススキーム(同社ホームページより)

(2)優先座席

「座れるか不安」という意見が寄せられた。盛岡都市圏に入ると、ラッシュ時には大都市並みの混雑になることも珍しくない。そこで、2 両編成の後ろ1 両を通院のお客様等の優先車両に設定した。

(3)専用無料駐車場

路線バスのネットワークが限られた二戸市域では、駅勢圏(駅を利用する旅客の住居地域を含めた範囲)が広く、駅までの足としてマイカー利用に依存せざるをえない。そこで、一戸駅では、地元の一戸町の協力で、IGR地域医療ラインの専用無料駐車場を設置した。

なお一戸町は、これがきっかけとなってオンデマンドバスの運行を開始した。


2両編成の全席が優先席に指定される
(4)企画乗車券・『あんしん通院きっぷ』

料金の軽減に用意した割引特典の付いた企画乗車券である。通院者本人向けの1 人用と、介護者が同伴できる2 人用を設定した。割引率は1 人用が約15%、2 人用では介護者の復路分が無料になるように配慮した約35%割引である。

朝の盛岡行きは、列車を指定した上で、利用者と一目でわかるようネームタグをつけていただく。


利用者にはネームタグをつけてもらう
(5)あんしんのリレー

盛岡駅からの通院先は、中核病院の岩手県立中央病院および岩手医大病院が多数を占め、同時に通院先への交通手段に不安を訴える声も集まった。いわば、駅から病院までの移動に一定のサービス需要が確認できたのである。そこで、病院までの交通手段の提供を検討していたところ、地域医療ラインの趣旨に賛同した岩手中央タクシー株式会社の協力により、ホーム上でアテンダントからタクシー乗務員にお客さまを引き継ぐという、まさに血の通ったシームレスな交通サービスのスキームが実現した。さらに岩手中央タクシーは、IGR地域医療ラインの利用者に限り、指定の3医療機関まで200円で利用できる「定額タクシープラン」および病院を指定しない「1割引優待券」を提供している。

なお、盛岡市の病院に通う必要に迫られている人に限定したサービスであり、地域の医療機関の経営には影響しないと考えていたが、誤解を生じないように、具体化に際して医療機関とは一切コンタクトを絶っていたという。あくまでも公共交通が独自に実施する、地域貢献を踏まえたサービスというスタンスを徹底した。現在も、どこの病院がお勧めなのか等と聞かれても、絶対に具体名を示さないルールである。

◆企業文化の風通しの良さがサービスの質に直結

2008年9月にはアテンダントの募集が開始され、業務の特性を踏まえて3名が採用された。全員が女性で、40〜50歳代となった。応募者は高齢者から見ると自分の子供世代に当たる中年層が多数を占めた。高齢者のケアに対する意識や経験の有無が、アテンダントの事実上の資格となったようで、採用された3名もその世代に落ち着いた。

このようにして、11月5日、企画から約8カ月という短期間の準備で、行きは午前7時43分金田一温泉(きんたいちおんせん)駅発、9時盛岡駅着(病院の外来診療時間に対応)、帰りとなる午後は2時10分盛岡駅発、3時26分金田一駅駅着の列車を舞台にサービスがスタートした。東北運輸局への届出等の手続き以外、企画した米倉氏ともう一人のスタッフを中心にこなした。当初、社内関係部門に話を持って行くと、“できるはずがない、鉄道はそういうものじゃない”的な説教もあったが、「それは今までの鉄道で、これからは違う」と説明、合意形成に務めた。同社は第三セクターという“お役所系”でもあるが、会社発足時に全国各地から鉄道会社の仕事を希望する若い人が集結。何かを始めようとしたときに、やりたいと言った人が最後まで責任を持って取り組むならば、そのすべてが任せられる、“非役所的”な体質が生まれたようだ。実施側に柔軟で風通しのよい企業文化がなければ、CSを高めるサービスづくりは望めないという示唆ではないだろうか。



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