集客テーマとなる地域資源

 地域には、その代名詞となる資源がある。これが例えば、○○日本一といった形容詞を付けられて情報が発信され、集客に結びついている。

 資源には、まず農作物がある。「食」は、地域資源として最もわかりやすい。その地域が流通シェアを圧倒している、栽培の歴史がとても長い、珍しい品種がある、あるいは独特の栽培育成方法等によって、その地域が名産地としての評価を得ており、そのまま集客のテーマになる。

 次に名所・旧跡のような歴史資源である。これはその場所に行かないと経験できない。京都は京都であり、奈良とは全く異なる。よって昔から周遊観光の目的地として定番となっている。最近では、その存在は記録に残されているだけで実物は消失しているような遺構もまた、地域を語る有力な資源として注目されている。鉄道廃線後探訪、廃校・廃屋探検等がこれに含まれる。

 そして景観がある。自然が見せるもの、人造的なもの、さらには計画的に演出されたもの等、場所、規模、対象、季節そして時間等によって様々なストーリーが生まれている。
さらに「人」もまた人気のあるテーマである。文学、絵画、音楽、発明、技術等の様々な分野で、その地域に貢献あるいは強い関係を維持していた人の人生が語られる。

 最近は「企業」というテーマも少なくない。地域と企業が栄枯盛衰を共にする企業城下町のような地域は少なくない。そこでは企業博物館あるいは企業の生産品や技術等が地域を代表する資源として、集客テーマ化されている。

不況と政策転換で運営的にお荷物となるケースが増加

 こうした地域資源を集客装置化して、地域活性化のフックにしようという試みが具体化したのが例の「ふるさと創生資金」である。以後、日本の各地に規模の大小は別として様々な集客装置が、主には「記念館」や「博物館」あるいは「交流館」のような形態で整備されていった。もちろんふるさと創生に止まらない。ウルグアイラウンド対策の中山間地振興、都市と地方の交流振興等のように様々な中央の補助によって、90年代には地域資源をテーマとする集客装置が日本の津々浦々に登場したのである。

 時代は変わり、不況による家計の緊縮、小泉政権の「三位一体改革」の地方に"冷たい"政策への転換があって、こうした集客装置は地方自治体のムダ遣い、主体性の欠如そして赤字の根源のように叩かれるようになった。特に中央マスコミのバッシングは圧倒的な勢いである。

 確かに、まったく地域資源とは何の関係もないが、多額の補助金によって建設されたものの有料利用客が停滞して、首長の交代により閉鎖の憂き目に合った集客施設もある。例えば、大分県(県の外郭団体が運営)の「香りの森博物館」がある。地元とは何の関係もない(例えあったとしても決定的でない)テーマである「香り」を設定してオープンしたものの利用は低迷、財政再建を目指す知事の英断によってこの9月に閉鎖、一部設備の売却が決まっている。なお、地元の報道によれば、大分県は、多額の維持管理費が必要な県有大型施設の運営見直しを行財政改革の柱の一つに位置付けており、香りの森博物館のほか、県出資の財団法人や社団法人が管理運営している「オアシスひろば21」(大分市)、ビッグアイを中心とする「大分スポーツ公園」(同)、「ビーコンプラザ」(別府市)。「大分農業文化公園」(山香町、安心院町)、「県マリンカルチャーセンター」(蒲江町)の6施設が対象となっているという。いずれも平松前知事時代の1990年代以降に建設されたもので、このうち「大分農業公園」は当社刊「レジャーパークの最新動向2002」で取材して取り上げている。そのコンセプトや哲学は素晴らしいと感じたが、それを「県」という行政単位・「県内」という地域で具体化する妥当性、そして「農業文化の表現」は曖昧(というか未消化)なのが集客事業としての限界を示していたように思う。

●業績評価だけなら存在意義が消失

 地域資源とは全く関係もないテーマを、地域行政が事業主体となって行うことは、冒険である。リスクが高すぎる。それは民間の仕事であろう。
 しかし、現実の多くの施設空間は、地域ならではの資源をテーマとしている。マーケティングとしては間違っていない。しかし「業績がすべて」のトレンドでは、多くは存在そのものが否定されてしまう(民間が手がけてもうまくいくとは限らないのは、この10年を見れば明らかなのだが)。

 資源の集客性評価のミスもあるだろう。加えて、その表現や訴求のようなコミュニケーションが稚拙で、ホスピタリティのような有料集客施設としての基本が機能していないこともある。テーマは間違っていない。そのコミュニケーションを地域を知らない大都市の専門企業に任せることでオリジナリティが消失するのである。見る側、経験する側は他にはないその資源の独自性を求めているのに、結果的に総論を多数見せられただけで、不完全燃焼のまま去っていく。当然、来場者満足は上がらないから、リピートもない、評判も上がらない「ないない」づくしの悪循環になる。

●地域の民力活性化のためには補助を付けても維持すべき

 集客事業としての「業績がすべて」なら、ほとんどの施設は不要になってしまう。その論理には与したくない。まずはプロセス評価を重視すべきだ。的確な資源分析と集客計画のある施設であれば、これは公共交通と同じく、一定の補助を行政が行っても機能させるべきと見る。つまり地域の人々が、地域の資源を誇り、大事にして、将来も育てようとする認識と行動のバックボーンとなる拠点空間として必要なのだ。「お上」に任せきりにしない。個人、グループから民間企業が施設運営のいずれかに参加するスキームだって取り入れるべきだろう。

 また、地域資源の集客空間の活性化に常に取り組むのは、いわば地域の民力の活性化だ。個のスキルアップ、関係の成長なのである。急速に進むヒト、モノ、カネの大都市集中に比例して衰退が進む地域の資源を、効率論・投資回収論で評価するのはあまりに"ご無体"でないか。JRが効率論から、赤字路線をすべて廃止することができるだろうか?

 もちろん、ムダやムリはよくない。背景的に妥当であっても、テーマとなる地域資源の縮小が確実な場合、同調する集客施設は自ら役割を終えるべきだろう。また、首長の政治的思惑も排除しなければならない。グローバル社会において、地域資源のテーマ設定については、厳しく吟味しなければならない。曖昧なテーマは、間違いなく空中分解する。

 施設の運営主体そのものが改めてオペレーションやコミュニケーションを自ら考え自ら戦略を描く。その哲学やコンセプトを地域に浸透させる活動を怠らない。自らの存在は、まさに地域を代表する「顔」であり、外との「接点」さらには「流通チャネル」と位置付けて、常にアンテナを張り巡らせる。空間通信は、こうした施設をこの目で確かめて、応援していきたいと思う。
 ということで、まずは現況の把握である。地域資源を代表する集客施設の事例をレポートしていきたい。

(2004年10月2日)


1.舞鶴市立赤れんが博物館(京都府舞鶴市)
2.鳥取二十世紀梨記念館(鳥取県倉吉市)
3.加悦SL広場(京都府加悦町)
4.丹後ちりめん歴史館(京都府野田川町)
5.聴潮閣(大分県別府市)
6.九州鉄道記念館(福岡県北九州市)