丹後ちりめん歴史館 レポート(1)

2004年10月28日

●施設概要

所在地:京都府与謝郡田川町岩屋317
電話:0772-43-0469
営業時間:AM9:00〜PM5:00
入館料:無料
定休日:なし(正月三が日のみ)
交通:北近畿タンゴ鉄道野田川線よりタクシー10分・バス15分
URL 
http://www.mayuko.com



 京都府から兵庫県にかけての日本海側の地域は、丹後(京都府)、丹波(京都府・兵庫県)、但馬(兵庫県)地方として区分される。日本海に面するとともに京阪神大都市圏にも近距離という位置にあり、全域で総人口約72万人、総面積5,667平方キロメートルの規模である。地元では「三たん地方」と呼び、「昭和39年の福知山市(京都府)と但東町(兵庫県)間を結ぶ登尾トンネルの開通を機に、府県境を越えた広域的な地域整備を進めるため、域内49市町が一体となって三たん地方開発促進協議会を設立、以来その整備促進に努めている」という(同協議会)。

 日本三景のひとつ、「天の橋立」で有名な丹後地方は、丹後半島一帯のエリアで、「丹後松島」、「屏風岩」、「立岩」、「鳴き砂の琴引浜」など風光明媚な名所が多い。歴史的に、大和文化と出雲文化の交流地、さらに大陸との交易地として発展から、独自の文化が開けていたという。なかでも現代まで脈々と続く文化が「ちりめんの里」、すなわち「丹後ちりめん」の生産である。日本最大の絹織物産地として、日本で生産される和装用の白生地織物では約60%のシェアを誇る。

○奈良時代からの伝統的な地場産業

 なぜ、丹後ちりめんが発展したのか。これは「丹後織物工業組合」のサイトに詳しい。要約すると、すでに奈良時代には当時の丹後の国・鳥取で織られた絹織物が聖武天皇に献上されており(正倉院に現存)、南北朝時代(14世紀)には絹織物(丹後精好)の生産が加速した。江戸時代になって、絹屋佐平治らが京都西陣より持ち帰った技術をもとに創織した「ちりめん」が現在の「丹後ちりめん」のルーツである。峰山藩・宮津藩がちりめん織りを保護したこともあり、丹後の地場産業として根付くことになったのである。

 現在でも「丹後ちりめん」は、地域の基幹産業であることに変わりはない。約2〜3万人の人々が織物で生計を立てているという。実際に町を歩くと、あちらこちらからちりめんを織り上げる機(はた)の音が聞こえてくる。その多くは夫がサラリーマン、妻が下請けとして家で機を織るという内職的な仕事環境にある。

 ビジネスの観点で見ると、丹後ちりめんのピークは昭和30年代、いわば高度成長期にあった。これ以降、貿易の自由化や技術革新等により、価格の安い輸入品の攻勢に晒され、徐々に衰退に向かうことになる。平成になると、危機的な状況はさらに加速、その再生が急務となっていた。特に機織業者は、集まれば廃業や縮小、新規事業への転換等の話題に終始するようになっていたという。 生き残りのために、既に人件費や流通コストからして対抗する意味が希薄な輸入品との対峙を続けるのではなく、技術の伝統と革新による高級品へのシフト、すなわち白生地だけの生産のみならず完成品を販売する高付加価値型産地への転換が始まった。

 こうした新時代の丹後ちりめん製品の「ショールーム」であり、地元の伝統文化を保存・発進する「窓口」機能を発揮するのが、この「丹後ちりめん歴史館」なのである。

丹後ちりめん歴史館の外観

次へ

ライン


トップ