丹後ちりめん歴史館 レポート(2)

○地元の名門織物工場跡を再利用

 「丹後ちりめん歴史館」は、三たん地方において丹後と但馬のほぼ中間点に位置する。天橋立から車で15分で、丹後地方の観光名所としての集客を図るべく、周遊モデルコースを提案している。オープンは2001年(平成13年)、年末年始以外は無休での営業で、入館は無料である。

 運営は(株)丹後ちりめん歴史館で、実際のオペレーションは民間、すなわち同館建設の発起人でもある今井織物(株)専務取締役・今井英之氏が中心に行っている。同館建設の経緯、背景等は、すべてスタッフの手作りという同館の公式サイトに詳しい解説があるので、ここでは要約を紹介する。


1)歴史館建設の背景
 前述のように、丹後ちりめん産業の危機的な衰退がある。既に白生地の生産だけでは輸入品と勝負にならず、高付加価値のある生産、すなわち完成品の販売に生産事業者が取り組む必要性が当事者に認識されるようになっていた。

 幡屋の3代目となる今井氏自身も、構造的な不況のが強まった8年前、苦渋の末、着物用白生地の出荷を止めて、8,000万円近い損失を出したという。その後、地元の観光ホテルや道の駅、SC等に「MAYUKO」という店舗を構えて、シルク製品全般を販売。新規事業への転換に活路を開こうとしていたのである。

2)具体化のきっかけ
 不況が続く2000年(平成12年)、地元で1903年に操業、1959年の天皇陛下ご成婚の際には、皇后陛下がお召しになった着物を製織したという地元でも名門の織物会社が破綻。土地建物は競売にかけられ、野田川町が落札した場合には分譲住宅での再開発が計画されていた。つまり、由緒のある建物はすべて取り壊され、地域産業を代表していた空間は消滅、土地の記憶も抹消されてしまう。地域のちりめん産業の象徴であり、歴史の証明であった空間が消失するという現実は、不況に直面する当事者にとって素直に受け入れられるものではない。今井氏は野田川町に競売参加の意図を確認したところ、再開発の方向性が規定されている現実を再認識させらる。この事態が起きる前から、今井氏らは野田川町観光産業ビジョンとして「着物の里構想」(シルクビレッジ)を提唱していた。これは観光農園やシルク体験工房等の施設を民間が協調して整備、観光を結びつけて新しい産業活性を図るという内容である。名門織物会社の遺産とその消失を前にして、この構想を丹後ちりめん製織工程の見学コースを備えた、昭和40〜50年代体験型のリゾート施設の具体化による実現を決意。そこで、同業の渡辺正義氏、川田信介氏とともに会社を設立して競売に参加、落札を目指すことになった。こうして2000年12月28日、3氏で資本金6,000万年をもって設立した(株)丹後ちりめん歴史館が無事落札したのである。そして2001年秋のオープンを目指して整備に取り組むことになった。




閉鎖した工場


利用されていない建物は元は女子寮


外観の特徴はノコギリ型の屋根
3)コンセプト
「織りから染めまでの体験と見学、デジタル染色の公開工場」
織り上げた生地にダイレクト染色を施したシルク製品を、観光で丹後を訪れる消費者や他分野のメーカーに提案できるアンテナショップとしての役割も果たす。
 つまり、崩壊の危機に直面している伝統的地場産業を如何にして再生できるかを課題認識として、地元で工業組合理事などを務める織物業者3名がそれぞれの得意とする絹織物の専門技術を持ち寄り、高付加価値型産地への早期転換を目的として、

・丹後地区に於いて織物とデジタル染色の連携した一貫生産型の工場を開設する
・白生地のみの生産地からの脱却をスローガンとして従来の複雑な繊維流通を省いた新たな販路の拡大を目指す
・この工場のデジタル染色試作品を常設展示販売し、地元繊維業界の従事者には更に技術公開することにより丹後 織物の高付加価値型産地への転換を支援する
・広報PRの手段として取引関係者以外にも丹後にお越しになる一般消費者向けに丹後縮緬の機りと染色工程が視察見学できるよう整備し交流とPRを図る拠点空間
との位置づけである(http://www.mayuko.co.jp/rekisi/kannai.html)

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