聴潮閣 高橋記念館(2)

○別府の観光名所の行き詰まりと新生

 別府市における「地域資源をテーマとする空間」ならば温泉を素材とする空間を取り上げるべきかもしれない。実は筆者は別府市の隣・大分市に生まれ高校までを過ごした。だから別府については(1970年代までだが)ある程度の認識はある。当時、わざわざ大分駅まで行かなくても、自宅の近くの「春日浦」電停から“別大電車”と呼んでいた大分交通別大線の路面電車で、そのまま別府の町まで行くことができた。

 大分市と別府市の間は今もシーサイドルートである。路面電車ながら国道10号の海沿い区間になると、国鉄の線路と寄り添うように道路端の専用軌道を走る。猿で有名な高崎山を左に、やがて別府の町に入ると、電車は国道の真ん中にルートを変えて路面電車らしくゴーストップを繰り返す。ラッシュ時には、別府市内だけを運行するダイヤも組まれていたのである。

 窓から見る別府の風景というのは、港あり温泉の湯煙あり、木造3階建ての住宅ありと、今でいうレトロな雰囲気に溢れていた。その後、電車は別府の西の端にあたる「亀川」が終点となるのだが、このあたりは別府競輪場があり(現存)、親が競輪選手という友人もいた。
 地元の子供にとって、別府の山側にある「ケーブルラクテンチ」は、現代のTDLに匹敵するテーマパークであった。初めての大型ほ乳動物、初めての本格的な遊具体験。地元っ子なら、子供時代のアルバムを探せば、必ずラクテンチでラクダに乗って悦に入っている子供時代の自分を見つけられるだろう。それともうひとつ、「杉の井ホテル」がある。ここに併設される「スギノイパレス」(現在は温浴施設となっているが、当時は温泉プールだったように記憶する)もまた、地区の子供会バス旅行の定番だった。

○成功と繁栄体験がイノベーションを阻害

 昭和40年代(1960〜1970年代)までの別府は、高度成長による温泉観光の繁栄によって、多くの富を得たのだろう。その成功経験が仇となって、1980年代の海外志向の定着、1990年以降の長期不況、さらに高速道路網の整備による地域間競争の激化等に対する変革を遅らせることになる。ラクテンチは破綻の危機を迎えて、筆者のような体験を持つ多くの人々の署名とスポンサーの登場により閉園を免れ、新装「ケーブルラクテンチ」として命脈を保った。同様に杉の井ホテルもレジャー施設経営大手の加森観光のスポンサードによって閉鎖の危機を脱した。このように、戦後の別府を象徴する集客空間の行き詰まりは、別府そのものの観光都市としての限界を意識させる結果にもなったのである。

 1972年にこの電車が撤去され、拡幅の進んだ国道10号の沿道から、あの独自の景観は失われ、日本のどこにでもあるロードサイドとなった。当時、大分県で最も高い建築物、別府の繁栄のシンボルのように見えた別府タワーは、周辺にビルが建ち並んだこと、そして巨大建築を見慣れた現代人にとっては、特段の驚きもない。片道3〜4車線化された国道10号を走らせると、あっと言う間に別府の市内を通りすぎてしまう。

○埋め立てによる「うみたまご」を核とするウォーターフロント開発

 別府市と大分市の間は、別府湾に沿うシーサイドルートだったが、現代は大分市側で沖合の埋立が進行しており、車窓からの海はだんだん遠くになりつつある。かつて、このルート最大の難所で、台風によるがけ崩れでちょうど下を走っていた路面電車が埋まり、犠牲者を出してからは防護網等が取り付けられていた「仏崎」も、いまでは「仏崎跡」である。そういえば、この路面電車(大分交通別大線)を廃止する理由として、大分県から国道を拡幅するには単線の電車線を利用するしか方法がないと説明されていたように記憶する。なかでも仏崎周辺では、海中に向かって陸地が急峻かつ深く落ちているので埋立は不可能で、さりとて陸側も急峻で道路用地に乏しく、どうしても道路拡幅には電車路線以外にないという理由だったように思う。路線廃止から30年の時間経過は、そのような悪条件でも陸地化できる技術革新と、予算獲得を実現する政治力を地元が持ちえたという実証なのであろう。沖合を埋め立てたルートを使うようになった現在、路線跡を拡幅した旧道は使用されていない。

 話は脱線するが、このシーサイドルートには、2つの海水浴場(白木、田ノ浦)があった。その後、侵食によって砂浜を失ったこれらの海水浴場跡はマリーンパレスと一体的に埋立・整備されて、2004年1月に大分マリーンパレス水族館「うみたまご」を核施設とするウォーターフロント開発が400億円を投資して大詰めを迎えている。大分銀行の経済研究所の試算では、直接はともかく間接合わせて690億円の経済波及効果を示しているが、筆者は懐疑的である。(賢明な読者の皆様には予想のつくことだろうが、理論的な精緻化を図るため、その理由は「うみたまご」の取材と合わせて後日お目にかけることにしたい。)



門の前の駐車場



1971年当時の東別府。大分交通別大線はここから終点亀川駅前まで国道10号の中央を走る併用軌道となる。それにしても空が広い。露天風呂ならばさぞかしリラックスできたことであろう。
写真提供:松原遊士氏
「想い出鉄道探検団」より許諾を得て掲載


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