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■エーザイ 内藤記念くすり博物館 ○目次 施設概要 1.施設設立の経緯 2.現況 1)来場者数 2)来館者プロフィール 3.展示 4.運営 1)入場無料 2)「友の会」組織 3)企画展 4)ネットの活用 5.集客 6.インプレッション 1)1階ロビー 2)常設展示 3)企画展 4)本館/図書室 5)薬草園 6)その他 7.まとめ |
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○施設概要 所在地:岐阜県羽島郡川島町竹早町1 電話:0586−89−2101 開館時間:9:00〜16:00 休館日:月曜日、年末年始(12/28〜1/8) 交通:JR岐阜駅から岐阜バスで40分、東海北陸自動車道各務原I.C./木曽川I.C.から車で9km(15分)、名神高速道路一宮I.C.から車で12km(35分) 入場料:無料 URL:http://www.eisai.co.jp/museum/index.html |
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1.施設設立の経緯 この「内藤記念くすり博物館」が開館した当時、日本は高度成長期にあり、古い建物が壊され、新しい建造物が続々と建てられていた時期であった。薬業に関しても、古い店舗は建て直され、看板や製薬道具など価値ある資料が散失、または廃棄などの憂き目に遭っていた。貴重な資料を保存しなくては取り返しが付かないとの危惧から、博物館の設立となったのである。つまり、国から補助が出た、予算が付いた、といった経緯ではなく、「薬学・薬業の発展を伝える貴重な史資料が失われ、後世に悔いを残すおそれがある」と考え、その保存・管理をするという発想のもとに建てられたのである。 エーザイ株式会社の前身である日本衛材株式会社は、埼玉県本庄町に1941(昭和16年)年に設立された、製薬会社としては比較的新しい企業である。1955(昭和30年)年、企業名を「エーザイ」と変更した。当時はカタカナの企業名は珍しく、内藤豊次氏の斬新な発想がここにも発揮されている。 創業の地ではなく、岐阜県川島町に設立されたのはもともとこの場所に工場(現在も操業中)があり、建設できる土地が十分にあったことにより選ばれた。工場が開業した当時は、従業員の研修施設を兼ねたホール、会議室の併設を考えていただけで、博物館の設立は全く計画されていなかったという。 |
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2.現況 1)来場者数 当館は2002年12月、来館者100万人を突破した。開館から31年目での100万人、と聞くと少ないと感じられるかも知れないが、「薬」のみを扱った博物館で、しかも集客に利便な場所とは言い難い環境で、これだけの集客を果たしていることは評価されるべきであろう。 ただ、残念ながらピーク時よりは減少しており、ピーク時には年間5万5,000人をカウントしたこともあったが、2001年度は約4万人であった。しかし、他で多く見られる例のように、オープン時にどっと入場しても翌年から急激に落ちる、といったオープニング効果に依存した状況ではない。徐々に増えて、新館の増設にともない、そのスピードも大きくアップしたという。こうして、現在はほぼ4万人前後で安定して推移している。 2)来館者プロフィール 大勢を占めるのは団体である。医薬関連団体の研修に利用される例も多く見られるという。また老人会、婦人会、農協等がバスをチャーターして訪れる数も多い。平日は団体が中心だが、休日はマイカー利用の家族連れ、岐阜観光の途中に立ち寄る、といった個人客が多数となる。その他、春・秋には学生の遠足にも利用されている。 |
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3.展示 保存・展示されている資料は約50,000点、図書は55,000点にものぼる。よくある先代や創業者の"コレクション"ではなく、全て日本全国から寄贈、寄託で集まったものであり、現在でも増え続けている。 従って、収蔵されているのは、実際に使われてきた道具や歴史資料類がほとんどである。それらは文化、歴史、そして情報を持って今でも発信しているのである。よく「博物館では何が目玉ですか」と聞かれるそうだが、所蔵数の規模自体が目玉だと考えている。どんなにマニアックな内容であったとしても、これだけの数が揃っていれば必要とする情報を初剣で切る。そこにこの博物館の価値がある、と考えている。実際、テーマ毎に体系的な資料分析が可能となっており、研究者からは貴重な施設として評価を受けている。 |
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