〜リバーウォーク北九州 レポート(2)〜

福岡県第2の都市、北九州市に2003年4月オープンした巨大複合施設「リバーウォーク北九州」は、近未来を想起させる外観デザインながら、隣接する伝統的な小倉城・紫川の景観と調和して、オリジナリティあふれる、地域の新しい憩いの場となっている。


1.事業の背景・経緯

 北九州市は昭和38年に小倉市、八幡市、門司市、戸畑市、若松市の五市が合併して誕生、政令指定都市となった。それぞれ歴史や背景を持った五市であったが、"小倉が都心、黒崎が副都心"という形で多角分散型、均衡発展を続けてきた。しかし、この「均衡ある市全体の発展」は、都市の「核」や「顔」をはっきりと掲げることができず、希薄なアイデンティティでは、福岡市への一極集中に見られるよう、都市間競争の激化に対応できない現実に直面していた。

 こうした状況の改善に向けて、北九州市は「北九州ルネッサンス構想」を昭和63年に策定した。まちづくりの方向性をそれまでの「多核都市」から「均衡に配慮した集中型都市」へと転換、小倉北区の市街地を都心と明確に位置付け、街の核づくりを進めることとなったのである。さらに、小倉北区を流れる「紫川」が平成2年に当時の建設省の「マイタウン・マイリバー整備事業」の整備計画認定を受けた。これらの事業計画を軸に、紫川とその周辺の再開発計画が都心作りとして進められていくことになる。

 ここでひとつの課題があった。小倉に様々な商業施設、文化施設などが形成するコアとなるエリアがあっても、紫川が回遊性を分断してしまい、都心の広がりを妨げていたのである。その解決に計画されたのがこの「リバーウォーク北九州」だった。文化・情報・商業機能を集めた大型複合施設を紫川の西岸に整備することで、小倉駅に集中する賑わいを引き寄せて、回遊性を高めることによる都心の面的拡大を図ったのである。

 開発は、「室町一丁目第一種市街地再開発計画」としての事業スキームでスタートとした。事業主体は北九州市、(株)ダイエー、福岡地所(株)、(株)朝日新聞社、北九州紫川開発(株)の5名で組織された「室町一丁目地区市街地再開発組合」で、1999年6月に設立。このうち北九州紫川開発(株)は床取得者等による出資により設立された法人で、北九州市の他、地域振興整備公団、福岡地所(株)、前田建設工業(株)、九州電力(株)西部ガス(株)、(株)ダイエー、(株)小倉玉屋、(株)朝日新聞社、福岡銀行、福岡シティ銀行、西日本銀行の12名が株主となっている。

 その後、デザインのコンペなどを経て、2000年7月に「リバーウォーク北九州」が起工。2003年4月のオープンとなった。
 総事業費は約500億円である。



紫川に面した親水空間


エナジーコートから見える小倉城


2.現況

○運営体制
 リバーウォーク北九州の運営主体である福岡地所(株)のグループ会社、エフ・ジェイ都市開発(株)が、委託を受けて施設管理を手がけている。担当は、「リバーウォーク北九州」全体の運営管理と、ショッピングモール「DECOシティ」の直営管理である。リバーウォーク北九州のほか、「キャナルシティ博多」「マリノアシティ福岡・ピアウォーク」についても施設全体の管理・運営業務を受託している。
 リバーウォーク北九州のデザインは、コンペにより決定した。採用されたデザインチーム「ザ・ジャーディ・パートナーシップ社」は、実は「キャナルシティ博多」のデザインも手がけている。デザインコンペの行われた時点ではまだエフ・ジェイ都市開発(株)は当該事業には参加していなかったが、キャナルシティ博多を手がけたデザインチームが担当することになった経緯から、コーディネートの経験があり、キャナルシティ博多の管理実績も評価され、白羽の矢が立ったということだ。

○営業時間
 リバーウォーク北九州の完成以前は、近辺には飲食店が少なく、また夜遅くまで開いている店もほとんどなく、"夜の早い街"だった。周辺の商業施設も井筒屋は19:30閉店、駅ビルでさえ20:00までという状況であった。そんな中、リバーウォーク北九州は物販店は21:00まで、飲食店は23:00まで営業、という夜の時間のにぎわいを実現した。
 同地区で夜の繁華街といえば「北九州モノレール」の東側エリアに集中しており、西側にあたるリバーウォーク北九州周辺エリアで夜を楽しむ意識が市民に定着するまで時間がかかっても、提案は続けていくという。現在は井筒屋が20:00まで、駅ビルは実際21:00まで営業時間が延長された。また、施設周辺にも新しい店舗がオープンしており、街の雰囲気が大人の街に徐々に変わりつつある。

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