その2


 こうして、竹林を抜けると、高台に出る。ここが村の山頂にあたる。ここには、「燈台退息所」が3棟並んで展示されている。退息所とは、燈台に勤務していた職員の宿舎である。最初は淡路島の北端にあった、1871年(明治4年)から使われてきた「江埼燈台」の退息所で、英国技師によって作られた、洋風で石造りの重厚な建造物である。1995年まで淡路島にあったが、阪神・淡路大震災により亀裂が入るなどの大きな被害があったため、同村に移築されたものである。
 中央は香川県坂出市の沖合、鍋島にあった「鍋島燈台」の退息所、次が愛媛県松山市の沖合クダコ水道にある「クダコ島燈台」の退息所である。
 この一帯は今までとはがらりと雰囲気が変わる。ベンチがいくつも並べられ、花がたくさん植えられていて、洋風なガーデンといった様相である。高台にあり、非常に見晴らしがよい。ただし、雨のため景色を見ることはできなかった。花壇が一部造成中だったが、このエリアはどうやらガーデン風の休憩所になるようだった。女性客にはウケがいいかも知れないが、施設全体として「和」のイメージと違和感があるのではないか。他とは離れた高台という場所にあるため、雰囲気を壊すことはないという判断なのだろう。また、全体的に似たような印象の民家が並んでいる中、洋風な造りの退息所とガーデンはアクセントとなり、飽きさせない工夫と取ることもできる。

高台の退息所


ここは今までとうって変わって洋風

 ここからは坂道を下ることになる。次は植物園「物語の森」庭園である。しかし、残念ながら造成中であったり、植え替え中であったりして、庭園の雰囲気を味わうことはできなかった。かなり広い敷地を取っているので、花の時期は見事だろうな、と思う。苗の植え替えなどをしているスタッフから「こんにちは」と声をかけられた。あいさつをちゃんとできるのは、集客施設では極めて重要なことであり、それが普通にできていることに敬意を表したい。
植物園「物語の森」は造成中だった


 雨は依然降ったりやんだりである。駐車場にはそれなりの台数が停まっていたので、来場者はいるはずなのだが、広い村内ではあまりすれ違うこともなく、非常に静かである。そういえば事務所でお話を伺っているときに見かけた遠足の小学生たちは、もう帰ってしまったのだろうか。

 続いて高知の高級和紙を作っていた「楮(こうぞ)蒸し小屋」、「下木家住宅」、「添水唐臼小屋」などを見学した。途中、「猪垣」と呼ばれる“罠”を見ることができた。これは石を積み上げて作った垣根で、畑の作物を荒らしに来たイノシシや鹿を捕らえるものである。イノシシや鹿は習性として垣根を飛び越えずに周囲をぐるぐるとまわるため、徳島の「猪垣」は囲いの根元に落とし穴を掘り、生け捕りにして食べてしまうという一石二鳥な仕掛けである。小豆島の「猪垣」は粘土に松葉を入れて固めたもので、落とし穴はないようだ。比較してみると違いがわかり、面白い。

  「久米通賢先生旧宅」は中が研修室として利用されている。外は茅葺き屋根の古い民家だが、研修室としても使われていることから、内装は“会議室化”されているのだろうと想像していたら、ゴメンなさい。
 縁側から中庭が見える広い和室があり、上がり込んで座ってみると窓から庭の花が見えるなど風情のある落ち着いた和室であった。ここで日本文化の勉強会などが行われているということだ。
 ところで久米通賢先生とは誰なのか、不覚にも私は知らなかった。平賀源内とともに讃岐を代表する江戸時代の科学者だそうだ。軍船、大砲、ピストルなどの武器から、扇風機といったものまで発明し、香川県坂出市の塩田の基盤を作ったという香川県の名士である。
「久米通賢先生旧宅」内は広い和室

障子を開けると中庭が見える

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