その3

 平家の落人で有名な祖谷の民家「中石家住宅」は母屋が立派なのに比べて隠居屋が小さく、なぜだが寂しい気持ちがした。隠居したら、つまり年を取るとこんなに小さな家に移り住まなくてはならないなんて。
 とはいえ、母屋もそれほど大きいわけではないが。茅葺き屋根が立派で、昔話の挿し絵に出てくる典型的な日本民家という印象だったが、この地域独特の建築なのだそうだ。

 「丸亀藩御用蔵」は約200年前に建てられた京極藩の米蔵である。海鼠壁(なまこかべ)が美しい。中は民俗資料館になっていて、民具が展示されている。ここは特別料金が必要で、100円玉を入れるとゲートが回転して一人だけが中に入ることができる。
 中には御輿など祭事に使われるものや、農機具、小豆島で行われていた歌舞伎の様子の写真、衣装などが数多く展示されていた。しかし、解説のほとんどが手書きで、インクの色があせて消えかかっているものやセロハンテープがはがれているもの、なんと破けているものなどもあり、また壁の色が変色しているところも見られ、資料館としてはかなり悲しい状況になっていた。
 せっかく貴重な資料を展示していても、これでは手作りの良さよりも退廃的な印象が際だってしまうだろう。せっかくの村が醸し出す文化性がチープに見えてしまう。ここでは、四国は歌舞伎が盛んだったことを理解して、次の建物へ移動した。


「丸亀藩御用蔵」の海鼠壁と解説板


資料館の展示。右半分は壁紙が黄ばんでいる


小豆島は歌舞伎が盛んだった


 アーチ型の古い橋と石でできた低い建物が並んでいる。「めがね橋」と「石蔵」で、どちらも明治中期に作られ、昔の金比羅街道沿いにあったものである。「めがね橋」はてっぺんにクサビ石に鯉と唐獅子の彫刻が施されているが、ここのような橋は日本に1つしかない珍しいものだそうだ。最初にこの橋を見たとき、造形がモダンであまり古さを感じなかったので、展示物だとは思わずこれも流氏の作品かと勘違いしてしまうほどだった。

 「石蔵」はレンガを床に張った贅沢でモダンな建物で、しかも現在でも狂いがない、優れた技術によるものだ。中はギャラリーとして一般に開放していて、我々が訪れた日も個展が開かれていた。作品が並べられている横で作家と見られる男性が来客の応対をしていた。このギャラリーは無料で借りることができる。また、ギャラリーを目的に来園された方は、通常の入場料800円のところが300円になるという。このような点で、施設運営が営利目的だけではなく、文化の醸成や育成も目指していることがうかがえる。

 「醤油蔵」と「麹室」では、中にも外にも醤油樽がたくさん積まれていて、作りたての醤油の香りがしてきそうな雰囲気である。醤油は江戸時代から作られていたそうで、「醤油蔵」の中には大豆を茹でる大釜や桶、絞り機などが当時のままに置かれていた。

 さて、我々が見ていて特に印象に残ったのは、「吉野家住宅」である。ここは漁師の家で、使っていた船がそのまま家の前に置かれていた。平屋建て本瓦葺きの、今まで見てきた建物の中では最もみすぼらしい。徳島県の太平洋に面した断崖下にあったそうで、強風を防ぐため、家の周囲を石垣で囲んでいる。ここにも涙ながらのエピソードがある。この漁師の家があったあたりは鰤の漁場だったが、他地域から網元が進出してきて、大漁が続き、かなりの富を手にしていた。そこで、地元の漁師も借金をして大網を買ったところ、その年から不漁が続いて大損をしてしまい、多額の借金が残ってしまったという。そのため、他の地域では住居が建て替えられたのに、この地域だけは建て替えができず昔のままの建物が残り、それが皮肉にも貴重な文化財になっているのだそうだ。
 船にはフジツボがへばりついたまま、タコ漁に使われた蛸壺が庭先の棚に無造作に置かれているなど、ついこの間まで漁に使っていたのではないかと思われるほど、非常にリアリティを感じた。展示の際には、とかく手を入れたり説明の札を付けてしまったりしがちなところを、敢えて当時のそのままの雰囲気で残しているところが却って記憶に残り、他の漁師の真似をしたものの、トホホな状況に陥ってしまった人間の弱さと頑固さが何となく感じられ、強烈な印象を残すことになった。

 なお、村内のところどころには、建築以外の自然、産業史にフォーカスをあてた展示物も配されている。


「吉野家住宅」は漁師の家(パンフレットより)



手前にあるのが「大がめ」。中に入って
大きさを確かめてもかまわない



 雨天の中、屋外空間である四国村を回るのはためらわれたが、かえって日本的なしっとりとした良い風景を堪能することができた。敢えて、ぜひとも雨の日に四国村を訪れて、時間を気にせず、ゆっくりと歩くのをお薦めしたい。そして、その際にはスニーカーの類を履いていくことを合わせてお薦めする。流れ坂の石畳は濡れると滑りやすく、特に下りはちょっと怖い。私は何度かバランスを崩し、転びそうになってしまった。とかく日本人は靴の選び方が下手だから。
「流れ坂」雨がよく似合う・・・


 断片的ではあろうが、さまざまな民家を通じて、四国の文化や風土を垣間見ることができた。もちろん、これで全部の魅力を語れるわけではない。ここは一度きりでなく、何度か足を運んで、散策したり、景色を眺めたり、ぼんやりしたり、そして懐かしさに触れたり、そんなことができる施設である。時間があればイベントにも参加してみたい、という気持ちにさせられた、久しぶりに「あたり!」な施設であったとお伝えしたい。

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