芝居小屋の現在 八千代座レポート(4)

6.訪問記(1)

 本当にこんな路地裏にあるんだろうか・・・と不思議な気分になるほど細い裏通りを通り、板塀の上でのんびりとくつろいでいる猫の横を過ぎていくと、突如大きな和風建築が現れた。これが八千代座・・・。当日はとてもいい天気で、青空に鮮やかな色とりどりの旗と、まだ真新しさの残る白い壁が印象的である。軒下には赤い提灯がたくさんぶら下がり、両脇には酒樽が積み上げられ、芝居小屋にふさわしい賑やかな雰囲気である。団体の見学客が訪れていたのも、さらににぎわいを醸し出していた。

 靴を脱いで上がり、受付の前を通って中に入ると、時間の経過に耐えてきた木の廊下や壁、柱、梁に囲まれ、一気にタイムスリップした気分である。廊下には当時使われていたという切符売り場があった。格子状のブースの中には八千代座のマークが入った座布団が置かれていて、本当にさっきまで人がいたかのようである。

 客席に入ると、まず目に付くのが鮮やかな色の天井広告である。青地の天井が格子に区切られ、薬屋、味噌屋、旅館、文房具屋などさまざまな商店の広告が整然と円の中に描かれている。それらは明治期に主流だった錦絵風の引札(チラシ)がそのまま天井に描かれているようなデザインで、美人絵なども見られた。これは八千代座の設計を手がけた木村亀太郎氏自らがデザインしたものだそうだ。木村亀太郎氏はもともとは長崎の諫早で測量技師をやっていた人で、設計には素人だったが、研究熱心で、各地の劇場を見学しただけでなく、上海に行って建築の勉学に励んだと伝えられている。この天井広告は他の芝居小屋では類を見ないものだというところからも、木村亀太郎氏は研究熱心なだけではなくセンスもアイデアも優れていてタダ者ではないことが伺える。天井にはさらに、中央に鳳凰と思われる極彩色の2羽の鳥が描かれ、その下にシャンデリアが下がっていた。外装も内装も純和風なのに、輝くゴールドのシャンデリアが不思議にマッチしていて、まさに和洋折衷、明治期ならではの装飾である。

 二層になった桟敷の下にもたくさんの赤い提灯が下がり、畳敷きの枡席と桟敷席はまさに芝居小屋という感じである。私がときどき足を運ぶ東京の歌舞伎座でも赤い提灯が気分を盛り上げてくれるのだが、畳敷きの枡席が醸し出している芝居小屋の雰囲気にはかなわないな、と思えるほど情緒がある。
 1階では団体客を迎えるための準備が進んでおり、2階の桟敷席には人がどんどん入り始めていた。これから八千代座を紹介する映像を流すのだという。我々も一緒に見せてもらうことにして、準備の間に内部を見学させていただくことにした。


 花道を通り、舞台の袖から舞台裏へ進むと大道具の部屋があった。「無用者立入ヲ禁ズ 大道具」という当時の筆跡が残されていた。小道具部屋には現在使われている手桶や手ぬぐいなどが小道具がいろいろと置かれていた。その扉にも墨で何かが書いてある。当時の出演者の落書きで「大入満員」「日本一好い」「楽団ブルースターズ」などといろんなことが書かれていた。

 当時の楽屋は、現在ではほとんど使われていないそうで、見学ブースとして入れるようになっている。しかし玉三郎公演の際は実際に使っているとのことである。取り立てて特徴がない和室だが、小さめの窓は障子戸になっていて、部屋も障子で仕切られるようになっている。梁や柱など当時のものを使っており、傷が残っていたり、落書きがあったり、物を引っかけるための釘が打ってあったりと時代を忍ばせる跡がたくさん残っていた。

細い路地を抜けていく


青空に旗が映える


八千代座の正面


色鮮やかな天井広告とシャンデリア


団体のお客が続々と入ってくる


小道具部屋の扉には落書きが


とってもシンプルな楽屋

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