芝居小屋の現在 八千代座レポート(5)

7.訪問記(2)

 続いて「奈落」である。奈落とは舞台や花道の床下の総称で、ここに廻り舞台などの仕掛けがある。狭い階段を下りていく。地下の穴蔵という雰囲気で、壁は石が積まれ、薄暗く、ひんやりしている。細い通路を抜けると広くなっていて、廻り舞台の仕掛けがある。直径8.5mの廻り舞台は人力で回すもので、とても重く、大人でも一人ではとても回せないそうだ。レールと車輪はドイツ製で現在でも操業しているクルップ社のものである。このレールはトロッコを走らせるために作られた物を代用したのではないかと言われているそうだ。

奈落の回り舞台の仕掛け

 奈落は廻り舞台の仕掛けから花道の下を通って鳥家(とや)と呼ばれる1階桟敷の脇につながっている。途中、花道の下に「スッポン」の仕掛けがある。スッポンとは「人力操作のセリ」のことで、数人が役者を担ぎ上げ、花道に突如として現れたりする仕掛けである。忍術使いなどの登場の仕方によく見られるものである。設備上の仕掛けは、基本的には花道に穴があり、扉が付いているだけで特になにもないと言ってもいい。

 鳥家に出ると喫煙室があった。ここはまだ整理されていない資料などの一時保管場所のようになっていて、我々が訪れたときは鬼瓦などがいくつも置かれていた。
 そうしているうちに八千代座の紹介ビデオの上映が始まった。我々は2階の桟敷から見せていただいた。1階の枡席には暗がりの中でたくさんの人が座っているのが見えた。上映が終わると、今度ははっぴを着た担当の方が舞台に上がり、補足説明を始めた。実際に舞台に上げての説明も行われていた。
 我々は今度は裏の離れにあるトイレへ。有田焼の便器があると聞いて驚いた。タイルは白地に青の模様があり、便器そのものはうすいグリーンである。個室の扉は赤と黒の漆塗りで、かなりゴージャスなトイレである。当然ながら当時はくみ取り式なので、かなりにおいがきつかったそうだ。復原されたトイレは現在は使用されておらず、あくまでも見学用となっている。


場内の照明が落ちると提灯がきれい


はっぴを着た担当の方が説明


有田焼の便器があるトイレ


夢小蔵

 八千代座の管理資料館「夢小蔵」は2階建てで、明治20年に建てられた蔵とは思えない、きれいな外観である。ここは元は洋品店の倉庫だったそうだが、ご隠居の住居も兼ねていたそうで、中は倉庫というよりは住宅に近いつくりである。玄関のたたきの前は2階への階段があり、玄関の左には小さな和室がある。
 夢小蔵の1階には坂東玉三郎が第3回公演の「鐘ヶ岬」で着用した衣装が展示されているほか、以前に芝居で使われていた鎧、上棟祭の際に書かれた棟札が鎮座していた。2階には八千代座の構造模型、昭和初期に実際に使われていた映写機、小道具、広告チラシ、天井広告の原画、当時の写真、年表などが所狭しと並べられている。目を引いたのは映写機で、とても大きく、どっしりとしている。もう出番がないのかと思うと気の毒な気がする。
 階段の回りには今まで開催された玉三郎公演のポスターが額装され、飾られていた。
 夢小蔵の外には八千代座でこれから行われる催し物の日程を知らせる掲示板があり、チラシがたくさん貼られていた。公演と行事で予定はかなりぎっしり埋まっているのがわかる。
 以前は夢小蔵に訪れる人が少なかったため、大改修後から八千代座の見学料と統一料金としたという。

催し物の掲示板に見入るお客


資料館と、奥に置かれた映写機


豊富な資料が八千代座への興味を
さらにかき立てる


まとめ

 スクラップアンドビルドが基本の日本において、解体の危機を逃れ、改修し、活用されている八千代座は、本当に幸せな建物である。全国にあった芝居小屋は、人々の娯楽の多様化と、一等地に建てられていたという存続には不利な条件のためにその多くが壊され、他の建物になってしまっている例が多い。そのなかで、地域住民の熱意と、行政の熱心な取り組みが結実し、「芝居をしてこそ芝居小屋」の精神で活用していくというのは素晴らしいことである。山鹿が観光地であるために、観光資源として残したという側面も当然あるのだろうが、地域住民の「瓦一枚運動」は観光ビジネスを期待するのではなく、自分達の町にある文化遺構に誇りを持ち、後世に残したいという純粋な思いに端を発しているところが胸を打つ。
 今回行われた大改修は100年に一度と言われている。またきっと100年後にも改修を行って、山鹿は「芝居町」であり続けて欲しいものである。
(編集部 池上)


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