マインランド 尾去沢(2)


2.マインパークとしての再生

○鉱山跡を鹿角地域の観光振興の核として再生

 閉山の翌年(昭和54年6月)、秋田県・鹿角市・尾去沢鉱山(株)・秋北バス(株)などを中心とする「鹿角市尾去沢観光開発調査委員会」が発足し、約1年間の討議を経て、地域の活性化を図るため、鉱山跡を観光施設として活用する方策が報告書としてまとめられた。

 観光開発としては、まず鉱山跡地は産業遺跡として二度と再現できない貴重な歴史的・社会的な財産であること。そしてこの事業は、鹿角地域における観光振興の核としての重責を担うものであること。この2点が開発の基本認識として確認され、次のような目標が設定されている。

・ 鉱山の特色と素材を最大限に活かし、斬新な観光施設として再生する。
・ 歴史性に重点をおくとともに、見る・触る・遊ぶ・学ぶの要素を備えた施設づくりを目指す。また、新しいタイプの総合的観光鉱山遊園地を志向する。
・ 観光坑道は単なる坑道と人形の陳列に終わらせずに、一級の坑内博物館とする。

 また、起業の設立および運営の理念としては、上記のほかに次の点が掲げられている。
・ 官民一体で設立する第三セクターの特色を十分に発揮し、企業存続基盤を早期に確立する。
・ 施設づくりにあたっては、お客の安全を第一に考慮し、円滑な観覧動線の確保とストーリーのある展示ゾーンづくりを行う。
・施設ブランドは、誰もが気軽に楽しみ、親しめるイメージを込めて、マインランド(MINE=鉱山、LAND=遊園地)尾去沢とする。

 以上のような理念から、佐渡金山跡地を集客施設化した『史跡・佐渡金山』等の先行オープンした事例を参考にしながら、4年間の準備期間を経た後、昭和57年(1982)4月25日に地域の人々の熱い期待の元にオープンしたのである。

○平成元年をピークに現在は13万人で頭打ち

 初年度は、目標来場者数10万人に対し、オープン効果もあったにせよ27万人の来場者が訪れるという大盛況だった。その後も年間約3万人ずつ増加する。さらに箱物集客施設の構造的課題である、オープン効果消滅後の来場客数減対策として、平成元年には観光坑道と並ぶ目玉として「シューティングアドベンチャー」をオープン、ピーク(約52万人)に達したが、以降、来場客数は減少に転じている。それでもここ数年は約13万人で横ばいだという。




「シューティングアドベンチャー」アトラクション


○鉱山資源に立脚したはじめてのマインパーク

 鉱山の遺構を本格的な集客施設として再利用しようとする試みは、佐渡島の金山跡が最も早かったと言う。しかし佐渡金山の場合、そもそも島そのものが観光資源であり、「佐渡の金山送り」ではないが、時代劇などを通じて知名度が高い。つまり、金山だけが飯の種ではないのだ。

 対して、周囲を山に囲まれた尾去沢は、鉱山に絞ってその歴史と文化を忠実に再現する実直なプレゼンテーションである。開発目標の「観光坑道は単なる坑道と人形の陳列に終わらせずに、一級の坑内博物館とする」、これは“坑内の総延長約300mで、約70体のコンピューター制御の電動人形を配置し当時の様子を再現する”佐渡金山へのはっきりしたアンチテーゼである。

 現在の日本では希となった純粋なエネルギー資源産業の遺構としての山を集客化したと言う意味では、マインランド尾去沢がパイオニアとして位置づけてもいいだろう。「空間通信」のサイトを参照頂きたい。マインランド尾去沢オープンの後に建設された各地のマインパークは、多かれ少なかれここの影響をはっきりと見てとれるのである。





敷地内にある「鹿角市鉱山歴史館」


次ページ 3.現況