鳥取二十世紀梨記念館(1)

地域の名産「二十世紀梨」を踏まえた、わが国唯一の「梨の展示施設」
観光施設として広域集客を推進
2004年11月10日

○施設概要

所在地:鳥取県倉吉市駄経寺町198-4
開館時間:9時から17時
休館日:毎月第3月曜、12月28日〜31日
料金:大人500円、小人200円(20名以上の団体割引有り)

URL http://www.nashikinenkan.com/





○「全県公園化構想」−−−観光活性を図る鳥取県

 鳥取県は東西約120km、南北約20〜50kmと、東西に細長い。 北は日本海に面しており、海岸線が続く。南は中国山地の山々が連なっている。山地から流れ出る三つの河川の流域に平野が形成され、そこ鳥取市、倉吉市、米子市が拠点都市として成長した。同県の人口は約61万人で、これは47都道府県で最も少ない。そのため、県が主導する形で地域の活性化のために様々な取り組みが行われてきた。

 地域の活性化には産業創造、振興がある。現在の“売れる”資源をさらに強化することでの活性化策、これは主に観光産業によって具体化されてきた。その究極が平成4年の前西尾知事に発表された「全県公園化構想」であろう。なるほど鳥取県にはたくさんの観光資源がある。例えば「鳥取砂丘」の知名度は圧倒的であろう。さらに四季を通じての大山(だいせん)もある。この他、自然の造形美が楽しめる浦富海岸など、海と山に多数の観光資源を保有している。これに集客装置を加えることで、吸引力と周遊喚起を進めてきたのが「全県公園化」、90年代の同県における観光政策であった。設計から材料まで中国河北省の協力を得て建設された国内最大級の中国庭園「燕趙園」、1997年に境港市で開催した「山陰・夢みなと博覧会」、その会場跡地に創造された1998年5月の「夢みなと公園」、1999年にはオランダのキューケンホフ公園との交流で建設された日本最大級の「県立フラワーパーク:とっとり花回廊」等、いわゆるハコモノを多数整備することで観光活性に火を付けようとの事業が続いた。この「鳥取二十世紀梨記念館」もその延長線上にある。



手前の丸い建物が鳥取二十世紀梨記念館。その奥の建物はアトリウム。



○「二十世紀」梨では全国の半数を生産

 そのネーミングが示すように、「梨」は鳥取県の名産で、茨城県、千葉県に続く全国3位、収穫量の約1割(9.2%)を生産する。梨には、この「二十世紀」をはじめ「豊水」、「幸水」、「新高」等の種類があるが、栽培面積では全国で14%のシェアにも関わらず、鳥取県内では「二十世紀」の割合が75%を占める。このため、全国の「二十世紀」収穫量の半分(49.7%、収穫量23,200トン)が同県での生産となっている(平成15年)。
 この「二十世紀」は、1888年(明治21年)に千葉県松戸市で発見され、1898年にそのネーミングが行われたのだが、鳥取で生産が始まったのは20世紀に入ってから(1904年)である。その後、1.梅雨に雨量が少ない、2.台風の直撃が少ない、3.気候が味に適している等の環境から、日本一の産地に成長したのである。(http://www.pref.tottori.jp/shijou/taste/f-information/nashi/part111/index.htm#a2)
 ちなみに、鳥取産の「二十世紀」は京阪神以西への出荷が多く、関東・東海・信越には合わせても1割にも満たない。従って、馴染み深い果物だが、首都圏の食卓ではなかなかお目にかかれない品種というわけである。
 鳥取県内での「二十世紀梨」の産地は、東郷町、東伯町、佐治村、倉吉市、中山町、赤崎町。青谷町等の中部地域に集中する。つまり倉吉市を拠点とする中部地域の特産であり、代表となる地域資源がこの「二十世紀梨」である。これが倉吉市に「鳥取二十世紀梨記念館」が構想された基本背景である。
 実はこの「二十世紀」は、「豊水」「幸水」や輸入果物等に押されて、厳しい販売を強いられており、その生産量は年々減少しているのが現実である。そのため、「他の果実と同様に生き残りをかけて、積極的に再生のためのアクションを起こすことが必要」(鳥取県商工労働部兼農林水産部市場開拓課)という危機意識を持っている。販売強化には、生産者の品質保全等の栽培努力はもちろん、行政の生産支援や農協等関係者の流通開拓等の努力も必要だ。その一環が広報機能で、「二十世紀梨」の認知と理解促進によって、激しい競合にあっても消費者に選ばれる梨としての支持、すなわちブランドへの脱皮を図らなければならない。梨を身近に感じてもらい、鳥取二十世紀ブランドを選択できる機会、これも「鳥取二十世紀記念館」が果たすべき役割なのである。


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