四国村訪問記


その1

 四国村は、山のふもとに入口があり、頂上を目指して登ったあと、再び下山するという動線に水、緑と建物を調和させて配置した構造となっている。

 当日は、朝から雨がしとしとと降り続いていた。その風情も捨てがたい。森の緑がいっそう美しく深い色に感じられる。石畳の坂道を登っていき、左に折れる細い階段へと進む。眼前に開けたのは「農村歌舞伎舞台」であった。江戸時代末期に小豆島に建てられた茅葺き屋根の大きな建物である。廻り舞台、楽屋、義太夫の床、お囃子座が付随している。小豆島の漁民、農民など地元の人々が自ら役者となり、芝居を演じたという。ここでは観客席がコロシアム形式に作られていて、約1,000人が観覧できようになっている。雨のためか、観客席には青いシートがかけられていたのが残念だが、もしも雨上がりの明日、ここを使うというのであれば、お客様の着衣を汚さないという非常に気の利いた管理であるといえよう。 「農村歌舞伎舞台」
 観客席の脇の細い通路を上がっていくと、「旧山下家住宅」がある。茅葺き屋根、平屋建てで、江戸時代の東讃岐地方では典型的な一般農家の住居である。家の半分は農作業用の土間で、あとの半分に親兄弟若夫婦が大勢で暮らしていたという。
 実は、どの建造物にも解説板が立てられていて、どこに特徴があり、価値があるのかがよくわかるようになっている。この解説板が秀逸なのは、移築前の本来立てられていた場所の地図があることと、建てられた時期には世界的にどのような出来事があったのか、解説が付け加えられていることである。ただ単に所在地や年号が書かれているよりも、これによってイメージや時代背景や想起しやすくなり、理解の一助となることは間違いない。
 また、解説内容も「親兄弟大勢で暮らしていたため、夫婦生活もままならなかったそうである」といった大人向けの表現となっていたのも目を引く。建造物そのものについてだけでなく、暮らしぶりについても関心を喚起できる。ここが民間運営の良いところだ。行政だと“夫婦生活”ではなく“ふれあい”だろう。
 そのほかに、音声による解説も聞くことができるようになっている。これは、音をただ流しっぱなしにしているのではなく、希望者がボタンを押すと流れるのである。しかも地元の方言で語りかけてくるので、ついつい引き込まれてしまう、なかなかグッドな演出であった。まさに、四国に来ているんだな!と実感できる。

気の利いた内容が目を引く解説板


 「砂糖しめ小屋」は丸い、茅葺きなのにとんがり屋根のかわいらしい建物である。現在では香川県内に2棟しか残っていない、世界的にも大変珍しい建築である。
 中に入ると1メートルおきに柱が立てられていて、中央にはサトウキビを絞る石臼が3つ並んでいる。ここでは、牛が石臼の腕木を一日中ぐるぐると回していたのだそうだ。そのためこの建物は丸く作られているのである。そのことを知ってから建物を見ると、確かに屋内は牛が回るのにぴったりのサイズである。他に、当時使われていた道具や、衣服なども展示されている。衣服はかなり汚れてほつれていて、いかにもよく使い込まれた感じである。
砂糖しめ小屋(パンフレットより)

 説明ボタンを押すと「モーゥ〜」という牛の鳴き声と石臼を引く音と共に解説が始まり、例によって方言を駆使しているから、臨場感たっぷりに聞かせてくれる。
 この建物には興味深いエピソードがある。もともと四国には砂糖はなかったが、約250年前の江戸時代、奄美大島から四国遍路の途中、病に倒れた武士・関良介を、讃岐の医師・向山周慶が助けた。そのお礼に関良介は、国禁を犯して藩外持ち出し禁止の砂糖キビを讃岐に植え、向山周慶と共に砂糖作りを始めたのである。現在でも香川と徳島の一部で昔ながらの製法で砂糖が作られていて、高級和菓子の原料になっているそうだ。(人名など詳細は忘れていましたので、大阪市の「さぬき和三宝ばいこう堂」さんのHPを参考にしました。URL http://baikoudou.com/migi.html
 こういったエピソードを知ると、なおさら建物への印象が深くなるものである。建築のハードや技術ばかり追わない展示が、とても新鮮に感じるのである。

 順路表示に従い、坂道を上がっていくと、茶堂がある。これは四国の古い街道沿いにあちこち建っていたお堂で、もとは仏様をまつり、弘法大師の命日などに道行く人に茶が振る舞われたところである。その後、四国遍路の接待、休み場、村人の集会、そして男女の密会などに利用されていたのだそうだ。
 ここに移築されたお堂は愛媛県内にあったもので、18世紀後半頃のものとされている。作家の瀬戸内寂聴さんによって「遊庵」と名付けられていたが、残念ながら、それがどういういきさつかの説明は見あたらなかった。

森の中へ続く木道。散策するだけでも楽しい

 茶堂からさらに山頂へと抜ける道は竹林になっている。非常に美しい、しっとりとした風情である。道端には小さなお地蔵様が並んでいる。このお地蔵様は世界的彫刻家、流政之氏によって創られたそうだ。村内の石畳の坂も流氏の手によるもので、「流れ坂」と名付けられている。一見すると石が無造作に並べられているようだが、美しく趣のある「作品」となっている。特に雨の日は実に情緒のある風景である。まさに、「和」の空間、静寂のただずまいを実感できる。ちなみに、竹林の道端のお地蔵様には恋の成就に効き目があるという。 道ばたのお地蔵様

次へ

ライン


トップ