芝居小屋の現在 八千代座レポート(2)

2.平成の大改修

 重要文化財を修復する場合、建設当初の形に戻すというのが大原則となっている。ところが八千代座は設立された明治43年の姿ではなく、大正12年当時の姿に生まれ変わっている。それには次のような理由がある。
 設立当初はシンプルな形状で、江戸時代の芝居小屋とさほど変わりがなかった。その後大正9〜12年頃に両脇に喫煙室が設けられた。この頃に「興行場取締規則」が改正され、人が多く集まる場所には喫煙室を設けることが義務づけられたためである。この増築によって小屋のスタイルに安定感と華やかさが加わり外観が整った。そしてその後70年間以上にわたり人々に親しまれてきた姿であるという理由から、文化庁から特別に許可が下りたのである。また、大正時代中〜後期の八千代座が最も賑わっていたという歴史からも、この当時の姿に復原することがふさわしいという判断となった。

 八千代座の復原で重要なのは、実際に稼働できる形で整備することだった。傷みをなおし、元の姿に戻すだけでなく、芝居ができてこそ芝居小屋である、という信念で「活きた芝居小屋」を目的として工事が進められた。そして市民には"我が街の八千代座"としてのマインドを高めるために、4年半の工事期間の間に35回もの市民見学会が行われた。その際に配布されたレジュメをまとめた資料を頂いたが、ここにはどのような形に復原されるのか、その理由、そのために考慮しなければならないこと、苦労した点、工事の方法、そして工事の経過が大変わかりやすく解説されていた。
 なお、この平成の大改修に要した改築費用は国庫補助が半分、1割が熊本県、残りの4割が山鹿市の負担となっている。

3.八千代座の特徴

 ここでは八千代座の建築的特徴をかいつまんで紹介する。
 まずは工法である。この時代にはまだ珍しい洋式のトラス工法が取られている。これは三角形を応用するもので、柱を少なくすることができるため、客席から舞台が見やすいという利点がある。
 内部に入るとまず目に付くのは鮮やかな色彩の天井広告である。現存するほかの芝居小屋には見られないものだそうで、いままで3パターンの絵が描かれてきた。今回の復原では、八千代座を設計した木村亀太郎氏自らがデザインしたという設立当初のデザインが採用されている。


八千代座の内部

 大きなシャンデリアも特徴の一つである。第二次世界大戦中に金属供出のため取り外されたもので、60年ぶりに復活したものである。シャンデリアがあったことは言い伝えとして残っていたが、純和風の芝居小屋についているはずがない、という意見が大半だったそうだ。ところが古い写真が見つかり、実存が判明したという。しかし、不鮮明な写真のみではサイズも、ガス灯なのか電灯なのかも判断が難しかったそうで、さまざまな角度から検証を行い、寸法やデザインを割り出した。そうするうちにシャンデリアの一部が奇跡的に発見された。復原されたシャンデリアにはそのうち使用できる部分が取り付けられているという。
 1階客席は枡席になっていて、一区画に4人が座れたというが、一枡の大きさが95センチ×107センチだそうで、現代では4人が座るのはちょっと狭く、2人ずつ座るようにしているとのことである。枡席、桟敷席とも勾配がつけられおり、舞台が見やすいように設計されている。

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