5.江戸体験施設の今後
取材対象とした「江戸東京博物館」、「深川江戸資料館」とも、江戸体験に、相当なポテンシャルを持っている空間との認識を持てた。前者では、江戸という時代を総合的に把握し、かつ近代東京への時の流れを追体験できる。後者は、その江戸にあって、庶民の暮らしぶりにフォーカスを当て、現在の東京・下町に残る空間的距離感の伝統を知ることが可能になる。双方を通じて、江戸時代もまた現代のように常に変化の波にあって、伝統と革新のスクラップ&ビルドが繰り返されており、なるほど、そのダイナミズムこそ東京の伝統であることが認識できた。江戸時代は約300年のポテンシャルがある。それを凝縮し、展示するには、とかく規模についても批判がある江戸東京博物館でも不十分ではないかと感じてしまう。
●時代体験の有無により満足感に差異
そうした満足感と同時に、不安もまた湧いてくる。江戸時代を含め、過去に興味がなければ、施設のポテンシャルは全く機能しないという事実である。江戸東京博物館でいえば、江戸時代の展示には傍観的・受動的だが、高度成長期の家電製品や自動車に対しては能動的に理解しようとする姿勢に転じる来館者が少なくない。これは、江戸はあくまでも学校での教育=試験勉強としての知識で、テレビや映画を通じて形成されたイメージと複合して作られた認識である。つまり後付であるのに対して、戦後や高度成長期は、体験者にとっては人生の再確認であり、レトロ趣味の対象であったりする。つまり、リアル体験であり、DNA化されているのである。従って、記憶の活性を歴史追体験を通じて享受することで、忘却されていた記憶とのネットワークが再び繋がり、人生における喜怒哀楽を追体験できる。こんなドラスティックな経験は、日常生活ではメディア体験がベースとなるが、実物への接触に比較すれば全く刺激に欠けているのが実態で、博物館のコミュニケーションパワーがあってこそ最大限発揮されるのだ。
●「勧善懲悪」ヒーローの衰退
実は江戸時代には、戦国時代や安土桃山時代のような、史実として誰でも知っているような強烈なトピックスがない。大多数の日本人が想起する江戸時代といえば、メディアによって演出されたヒーローである。つまりバーチャルであって、しかもフィクションなのである。もちろんそんな状況は周知の事実であって、娯楽として楽しめればそれでよい。時代劇におけるパフォーマンスの公式、「勧善懲悪」に入魂できれば満足なのである。
それでも、江戸時代への関心が失われるという危機感は、このヒロイズムが2000年の日本では既に機能していない事実から指摘できる。テレビ時代劇の最長寿番組となった『水戸黄門』(TBS系)の現在シリーズでは、出演者の行動やトピックスの背景についてナレーションで解説が入る。これは恐らく同シリーズでは初めてのことだ。若年層の視聴者にアピールするには、ストーリー展開上重要となるシーンで“それがどうして大変なことなのか”等を理解し感情移入してもらうための説明を加え、さらに従来の“顧客”の中高年層には、常識を新に、興味をさらに深めてもらおうとする制作者の意向を踏まえた演出であろう。悪代官やヤクザが弱者を苦しめ、それを権力者であるご老公が解決し高笑い、という勧善懲悪の忠実な反復では、視聴者にアピールしないという危機感を感じるのだ。なお、勧善懲悪がアピールしないのはなにも時代劇だけでなく、現代劇の刑事ドラマにも通用する構造である。
●知識の有無が時代劇を楽しむ生命線
特定世代・ファン以外、時代背景に一定の知識が必要で、その欠如は、アピールしない→ストーリーに凝る→背景が複雑化する→特定層しかアピールしない→楽しむ層が限定されるといったメディアにおける悪循環に投影されている。
時代劇を楽しむには、何の知識も要らない。見ればすぐわかる悪人を、ヒーローがぶった切る。誰でもわかる。
・・・・・そんな単純に行くわけがない。いつも勝つわけがないだろう?
それならば、現代のサスペンスドラマの要素を入れてみよう。ヒーローだって人間だ。身近な人間なんだ。
・・・・・なんでわざわざそんなことするの?どうして遠慮するの?
だって江戸時代だぞ。冨士講はどこにでもあったんだ。え?そのフジコウって何だって?
・・・・・ああ、最近の話は難しい。こう、スパッといかないの?
そうですね。凝りすぎている。「やっぱり桃から生まれた桃太郎」じゃないとね。
●学校教育の場に、歴史空間体験を
そして、教育の場における歴史勉強が、個々の興味や関心を持つまでに至っていない状況もまた不安の種である。子供にとって、バーチャル・リアリティは過去よりも未来に向いている。東京では特に住居環境の制約と、多数の地方出身の東京人の存在から、家庭において古い世代が乖離されてきた。だから、その世代が体験した時代活劇の面白さや醍醐味が次の世代に伝承されない。今の親の世代の時代劇は「太陽にほえろ!」「俺たちの旅」なのである。そして、さらに若い層となると、70年代・80年代のカルチャーが新鮮に感じるのである。
こうした状況から、今後の江戸体験施設の運営については、教育プログラムとの連携をさらに強化すべきであろう。幼少期の体験はその後の人生に大きな影響を与えるとも言われるが、最初の歴史体験にこうした本格空間を利用すべきだ。それも一度だけでなく、リピートによる追体験を重ねていく。その経験を通じて、その後にたとえ関心を失ったとしても、歴史認知の拠り所として記憶の中に保存されるはずだ。いつか、その記憶は第三者にコミュニケーションする際に本領を発揮してくれる。江戸東京博物館では、学校との連携を深めていくようだが、都内の学校だけとはいわず、広い範囲に拡大してもらいたい。そして地方の学校も、修学旅行でTDLを選ぶのも大事かもしれないが、歴史の修学機会として江戸空間を選択してもらいたい。郷土と江戸は違うと反論されるかもしれないが、江戸時代に庶民でも米を食べられたのは江戸だけだったという史実を知るだけでも、次世代を担う層に郷土を再認識させる契機になるはずだ。
●「時代劇ヒロイズム研究所」構想
そして、時代劇が江戸の認知に大きな役割を果たしている事実から、そのヒーローを通じて江戸を認知させるアプローチも必要であろう。その手法については、コンピュータ・グラフィックス等の現代のメディア技術を駆使すればよい。例えば、鬼平と大岡越前が出くわした事件の背景、場所、内容をドキュメントとして表示する等である。つまり、江戸時代劇のデータベースを構築し、そこから虚飾を取り去り、当時の社会に当てはめるとどのようなことになったのかを訴求する。つまり、「江戸時代劇に見るヒロイズム研究所」機能を果たすのである。その研究結果は、東京都のMXテレビでプログラム化し、アピールすればよい。マスメディアでの訴求ならば、映画会社や出版社のように膨大なソフト資源を持つ組織の協力も得られよう。
もちろん、こうした内容は真面目に取り組むことが大事で、中途半端や手抜き・遊びだとすぐに飽きられることは言うまでもない。
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