江戸体験施設のコミュニケーション

1.はじめに

今回の特集は、「江戸」に関する施設である。東京にあって、実は江戸ほど遠い時代はない、というのが我々の認識であり、現代では既に江戸を認識・再認識するチャンスが失われているとの悲観もある。

 これは江戸時代に限ったことではなく、過去=歴史=伝承の結果について、日本人の意識は、都市空間と同様に、その興味や関心はスクラップ&ビルドされているのが実情であろう。もちろん、古墳の一般公開に集まるような熱狂的な歴史ファンが存在するのも事実だが、それは日本史における歴史的発見とレプリカやデジタル画像ではない、本物の遺物を誰よりも先に視覚体験できるというイベント性、そして舞台リアリティが備わるからである。その要素のどれかが欠けたり、あるいは発見後のコミュニケーションが継続しないと、結局は記念碑化し、団体バス観光のルート化され役割を終える。大方の歴史資料館や郷土資料館は公共団体の運営によって地域のアイデンティティ発信・体験拠点化を標榜しているが、グローバリズムのなかでローカリティの主張はそれほど容易でなく、コミュニケーションの創造にも消極的なのが現実なのである。

 東京はスクラップ&ビルドが激しい都市空間である。その要因となるのが大地震で、これはほぼ100年周期で発生し、その度に土木・建築技術と市場を活性化させる役割も果たしている。もうひとつが戦争であり、特に太平洋戦争での東京大空襲によってたくさんの空間施設が燃えてしまっている。さらに経済成長――高度成長やバブル景気等――によって、過去は全て未来に改変されている。特徴的なのは全てを一新しようという開発行為で、例えば過去のテイストを活かしたデザインやその場所の記録を優先したコンセプトなどがほとんど反映されない。よって、どこも同じような外観とコンセプトで空間が作られているのが実情である。

 この結果、既に60年代、70年代、いや80年代初頭の風景(人間関係やコミュニティもそうなのかもしれないが)さえいまの東京に探すことは難しくなっている。まして、それ以前の東京=江戸を認識できるチャンスは現実の生活には皆無である。唯一、それを体験・認識させてくれるのが映像メディア、映画・テレビなのである。

*中・高校生の世代にとって、今も昔もテレビは大切な友人である。
 http://www.nhk.or.jp/bunken/yoron-o/b3c906-j.html

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