4.施設の構成は車両・設備展示とライブラリー


 「佐久間レールパーク」は、サブネーミングに「車両展示館」とある。その通り、目玉は車両の展示で、電車・客車等が16両それに運転台を体験できる新幹線0系(先日東海道新幹線から引退した丸い顔をした古豪)の先頭部分がある。

 これら実車展示に2階建ての「展示館」が付属し、中ではジオラマや鉄道資料、飯田線の写真展示等が行われている。また、「鉄道資料室」として、鉄道関連の書籍・専門誌を集めたライブラリーの利用も可能となっている。

写真2:0系新幹線の先頭車両。運転台に座っている様子の記念撮影用専用台が用意されている。

図1:施設の全体レイアウト



図2:展示館のゾーニング

 どのような車両を見学できるかは、同館のオフィシャルサイトに紹介があるが、写真が小さくわかりにくい。むしろ、一般のサイトから、クッパペさんの「クッパペのお部屋」で紹介されている「佐久間レールパーク」=http://www2.justnet.ne.jp/~fumikazu-kato/photo12.htmや、関東鉄道友の会さんの「静態保存車両佐久間レールパーク編」=http://www.miktt.ne.jp/ryoko/sakuma/777.htmlの参照をお奨めする。

 展示車のほとんどは鉄道黄金時代の昭和30年代に、当時の国鉄の花形として活躍し、晩年はここ飯田線で余生を過ごした電車・客車等である。ちなみに、最古は大正12年に米国から輸入されたED11型電気機関車であった。
写真3:ED11型電気機関車

 一応断っておくと、筆者は大の輸送システム好きで(そんな趣味があるかどうかは疑問だが)、特にクルマと鉄道にはこだわりがある。だから、普通の人よりは知識があると思うだのが、「オロネ○○型は前のオハフ○○を改造して・・・」のような専門性はそれほど持っていない。
 JR九州の「かもめ」「ソニック」等の新型特急電車、広島電鉄の超低床型LRT「GREEN MOVER」、のぞみ700系、同500系、そして「ひかりレールスター」など話題の車両をいち早く利用するというタイプである。ゆえに、過去の車両については、少年時代を過ごした九州・大分でのディーゼル機関車や蒸気機関車が牽引する客車列車や長大な貨物列車、そして“まち”(中心繁華街)に出かけるときに利用した路面電車、祖母方の親戚宅を訪問する際に利用した軽便鉄道等の関連領域にはノスタルジーと興味を覚えるが、それ以外の、すなわち鉄道経験のない“そよ”の土地で、それも往年の事情となれば、メディアを通じて想像力を働かせる以外にない。よって、こと飯田線に限れば、基本的には非鉄道ファン層の一般人と同じ感性である。以後の記載に「ひいき」をお感じになることがあれば、それはファンとして内包する関心が異様に高まり、脳内の鉄道関連情報が再活性した結果としてお許し願いたい。

5.車両展示--内部の見学は一部に限定

 展示している車両群は、実際に内部に乗車できるものは一部に限られる。これは、歴史的価値が高い(現存する車両が希少)場合、部品の盗難や悪戯による破損等を覚悟しなければならないからだ。恥ずかしいことに、一般の人はもちろん、ファンにとっても「どうしてそこまでやるのか?」といった事件が鉄道趣味の関連で過去多数起こっている。

 よく、鉄道車両を飾っている駅前広場や公園を見かけるだろう。そこに展示されて余生を過ごしている車両は、ほとんどの場合ひどく傷ついている。窓は割られ、ゴミは捨てられ、落書きをされ、そして年月の経過とともに錆は浮き出て塗装は剥がれ、一種異様な景観構成物となっている。
 今ではきれいに整備され、時にはライトアップされる、待ち合わせそしてサラリーマン向けニュースインタビューのメッカとなった東京・新橋駅前のC11型蒸気機関車も、鉄道発祥地としてのプライドがなければ、朽ちるに任せた結果となっていただろう。もちろん、管理者も黙って見ているわけではない。はじめから窓を透明プラスチックに交換する、主要な部品はすべて外す、車内見学できる時間を制限する等の施策を打ち出している。そうした努力があって、設置当初は自由な出入りが叶っていても、モラルハザードの攻勢に、いつの間にか結界されてしまう例が多数となる。
 なお、この悪循環の例外は、資料館・郷土館等のクローズドスペースにある。外部からその姿を垣間見れても、お金を支払って施設を利用しなければよく見ることも手にも触れられない、つまり「展示物」としてちゃんと有人管理されている施設のみ、鉄道車両は安心できるのだ。 

 いつまでもきれいに現役の姿を伝えるためには、公共の開放空間では無理というのがモラルハザードを許容しなければならない我が国の現状である。その意味で、山里の静かな駅に集められ、ちゃんと管理されたこれらの車両は幸せな存在だといえよう。

 さて、車両の展示場所だが、引き込み線を利用したせいもあるのか、ホームが併設されていないため、実際に内部に乗り込むには、地面からよいしょとステップを上がる必要がある。これはちと高齢者にはきつい。
写真4:急なステップ
 昭和30〜40年代、鉄道の黄金時代を経験したのは今の中高年以上である。その層には、鉄道と自分の若い頃とが一体となった思い出がたくさんあるだろう。
 内部見学が許されているオハ35型3等車の木製ボックスシートに座り、木目で覆われたインテリアと天井の白熱灯そして回転扇風機を眺めると、“汽車通学中に喫煙して怒られたあの頃”“試験会場まで赤尾の豆単を食べながら周囲を気にしていた自分”“上京するのに20時間かかっていても、苦にならなかった若い頃”“鞄にサンプルを満載して各地を回っていた駆け出し営業マン”そんなノスタルジーに浸れまいか?これが新幹線当たり前以降の世代になると、“ここでビール飲むとうまいよ”になってしまうのだけど。やっぱり、高齢者が楽に内部にアプローチできるようにしてもらいたい。

写真5:オハ35型3等車の車内。内装は引退時のままである。

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