石炭の歴史村〔北海道・夕張〕:考察

2006年9月12日


■夕張市に見る、“官製観光”の限界と錯覚
 活性化は現場=接客応対力、情報受発信力の改善が必須


 2006年6月、北海道・夕張市の後藤健二市長は、定例市議会において、総務省に財政再建団体の申請を行うことを表明した。財政再建団体とは、自治体自らの力で財政を再建できない状態で、国の管理下のもとで再建に取り組む自治体をいう。つまり夕張市は、倒産を容認したわけである。

 その理由については既に多くのメディア、サイトで語られている。簡単に言えば、産炭地であった夕張に対しての「産炭地域沈降臨時措置法」の失効による財源の枯渇、石炭に変わる新たな知識資源としての観光開発投資の失敗、それらを含めた当事者意識のない政策展開等が指摘されている。また、「国による見せしめ破綻」、つまり財政状況が芳しくないにも関わらず合併に消極的な市町村をあえて破綻させ、強力に合併を推進したい国の意図が見え隠れしているとの報道もある。

 実情はどうあれ、最も収益に期待した観光事業、また夕張メロンに見る地域農業振興が、結果的に長続きせず、むしろ足を引っ張ってしまう状況に陥ったのは事実であろう。06年9月14日に同市の公式サイトに登録された「財政再建に取り組む基本的な考え方」を読むと、「不要不急事業の休止・中心、不採算事業の中止、経営統廃合」を訴えており、なかでも観光事業は「不採算事業は実施しない」「民間売却を図る」等と明言されている。

○3シーズンで“稼ぐ”「石炭の歴史村」

 2002年、私たちは夕張の観光事業のシンボルである「石炭の歴史村」を取材した。早春とはいえ、まだ夕張の谷に吹く風は冷たく、いちばんの繁華街と思われる商店街に人影はまばらで、「ゆうばりファンタスティック映画祭」を彩る映画看板が人目を引いていた。住宅街の奥では、北海道らしく野良猫とキタキツネが愛猫家の提供するパンの耳と思われるご馳走を仲良く味わっている光景も見られた。

 「石炭の歴史村」はオープンしていたが、平日で日陰には雪が残る季節ということもあり、お客さまの入りはほとんど見られず、取材チームの貸し切り状態であったことを覚えている。「石炭の歴史村」は、「ローズガーデン」「水上レストラン」「アドベンチャーファミリー」のような、屋外のアミューズメント施設空間もあって、これもまたシーズンには集客コアとなっているのだが、11月から4月の間は休業となる。従って通年集客は、インドア系の施設の役割となりそうだが、それは中心施設である「石炭博物館」と「炭鉱生活館」のみとなっている。気候条件から、賑わいが春〜秋の3シーズンに限られてしまうのも、集客事業には頭の痛いところであろう。それではウインタースポーツやレジャーはどうか。北海道内、ライバルが多すぎる。そこであえて夕張を選ぶような強い魅力に欠けるのでは、という印象を持ってしまう。その突破口が全天候型の集客コアである「ワンダーバレーゆうばり」のようだ。

 以下に弊社刊『レジャーパークの最新動向2002』に収録した、この夕張市「石炭の歴史村」のレポートをご紹介したい。

○経緯はどうあれ、当事者にはプロフェッショナリティが必要

 2006年秋、再度「官製集客ビジネス」の現況、地方交通のありようを見聞して、読者の皆様と共有したいと考えている。バブル崩壊から「失われた10年」の間に、行政が首をつっこんだ、あるいは主導した巨大集客プロジェクトは、多くの場合、再生を余儀なくされてきた。そして21世紀になり、“小泉劇場”を他人事のように喜んでいる間に、公共は「投資効果」というコストマネジメントに迫られている。結果的に“赤字事業はすべて撤退“することがリーダーの英断と勘違いされ、その対象は多くの場合、観光事業と地方交通に集中しつつある。

 土地の記憶で町のルーツとなる石炭産業をテーマとした集客施設づくりは、どのような組織が事業主になるかを問わず、異論のないところであろう。問題は、そのコンセプトから、来客者に「楽しんで頂く」「また来たいと感じさせる」最高の体験を提供できるかである。その時間消費を刺激することでビジネスになる。これについて民間ならすべて○かというと、実はそんなことはない。事業主の業種業態ではなく、当事者(特に現場スタッフ)のプロフェッショナリティが勝負なのであって、またそれを理解して支えるような経営のあり方が大事なのである。大都市の一流看板を地方に持ってきても、価格やおもてなし感、地元ならではの文化と相乗しなければ、大都市に行って本物の看板をくぐればよい。端的に言って東京には何でもある。実は価格も選べる。それなりにしたければそれなりの場所がある。要は選択肢が多数あるのが東京の“ならでは”なのである。


○過去の再現か、文化の伝承か、それともエンタメなのか

 夕張の「石炭の歴史村」、なかでも「石炭博物館」は十分楽しめる施設と記憶する。しかし実際に炭鉱で働いていた人にとっては、事故や苦労を想起させるだけの歓迎されざる場所であるという。その現実を深掘りするのも博物館の役割であろうし、その記憶を癒せる機能もまた求められているかもしれない。いま、当時を知らない世代、夕張のような産炭地の記憶がない人々に「まっくら体験」で楽しんでもらうことが主眼となっている。

 しかし、地下のまっくらな空間を上って地上に出ると、そこには遊園地や売店の景観が広がる。炭鉱があったことは幻想のようだ。博物館に隣接する「郷愁の丘ミュージアム・生活歴史館」に入ると、炭鉱全盛期の夕張の豊かなくらしを、実際の生活資料類等の展示や実演で知ることになる。それでも、先ほどまでの坑道体験はアトラクションのように思えてしまう。ひょっとして炭鉱も夕張もよくできたフィクションではないのか。そのように錯覚してしまう。

 谷に位置する「石炭の歴史村」から、元々は坑道があった、あるいはボタ山であるといった景観を眺めてみても、それまで見た採炭都市の痕跡を見つけることは難しい。本来ならばまちそのものが歴史博物館なのであろうが、その場合夕張は「石炭」よりも、「都市衰退」(失礼)博物館のように感じられるのである。

○「石炭の歴史村」をはじめ施設空間運営の徹底した棚卸しを

 財政再建の行方はまだはっきりしていない。一般的に財政再建団体となれば、市民の暮らしも不便が生じてしまう。その結果、人口・世帯減に拍車がかかり、さらに都市活力が低下することも否定できない。「不採算事業は実施しない」「民間売却を図る」という観光事業だが、これを機に、ぜひ「不採算となった理由、構造」や「売却の可否よりも自らの施設価値」について、特に行政はしんけんに、当事者として考えて欲しい。

 「夕張市の職員は夕張市に住んでいない」等の批評があるのはなぜか。今後、「国の言われる通り」に行政を運営するというのでれば、個人情報管理以外の業務ならば、たいていはアウトソーシングでも問題ないだろう。関連団体がうまくマネジメントできないからアウトソーシングするという判断しかできない組織こそ、アウトソーシングされるべきではないか。

 事業のスキームだ可能性だなんだかんだと、Excel名人を集めてのマネジメントばかりで問題が解決できれば、この国の経営だってこんな状態になる前になんとかなったのではないか。将来を考えれば、改善は要は仕事のありよう、進め方=現場の充実であり、前提としての人の意識の革新が先決なのである。他人や他国の理論なり表現をそのまま享受して演じるだけなら、その文化に将来はない。少なくとも人の意識が変わる(える)、高まる(める)ことから、仕事のありようも変わってくる。日本最高の収益を稼ぐ優良企業であっても、セクショナリズムはあり、ムダ・ムリはいくらでも散見できるのである。

 再度、「石炭の歴史村」をはじめ観光事業の今後については、結論ありきの報告でなく、当事者、関連事業者、そして市民が集まって徹底検証してもらいたい。検証によって抽出された「知」が、夕張の新しい土地の資源になると信じるのである。




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(1)プロローグ
(2)1.経緯1
(3)1.経緯2 夕張炭鉱の歴史
(4)1.経緯3 夕張市内の観光・レジャー施設(2002年のデータ)
(5)2.空間(1)レジャーで集客、石炭をやさしく解説(1)
(6)2.空間(2)レジャーで集客、石炭をやさしく解説(2)
(7)2.施設構成

(8)3.運営 / 4.集客
(9)4.石炭の歴史村および夕張市のイベント一覧
(10)5.訪れてのインプレッション(1)
(11)5.訪れてのインプレッション(2)
(12)5.訪れてのインプレッション(3)
(13)5.訪れてのインプレッション(4)
(14)5.訪れてのインプレッション(5)
(15)6.活性化のために



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